伏せられていた鋭い瞳が、ゆっくり開かれる



今日はお役目もなく昼を皆で食べ終えた後、それぞれが好きなことをして午後を過ごしている。
天気は快晴で、暖かな日差しが心地よい日だった。

九角は日課となっている村の見回りをしていた。
風祭と桔梗は内藤新宿に行ったらしく、龍麻も誘われていたが断っていた。ならば、村の中にいるのだろうと思って探しながら見回っていたのだが、姿は見当たらなかった。

龍斗とは互いに思い合っている仲の九角としては、空いた時間をともに過ごしたい。
その気持ちに気付いていない龍斗は、食事をすませると直にふらりといなくなる。
そのため、九角は毎日捜し歩く羽目になっているのだけれども。

どこに行ったのやら。
那智滝や双羅山の方にも足を伸ばしてみたが、姿は見えない。
龍斗がこの村にきてしばらく経った。
つかみどころの無い風のような彼は、どこにいるのか全く見当がつかない。何故そんな場所に、と思ってしまうような意外な所にいることが多い。
姿を消すのが上手いというか、なんというか。
探す方としては、厄介なことこの上ない。

そして、今日も見つけることができなかった九角は、屋敷に戻ってきたのだった。




「……龍?」

屋敷の縁側に足を運ぶと、日の光を浴びて龍斗は体を横にし、丸まるようにして寝ている。
墨色の生地に朱色や金、銀の糸で華の絵があしらわれた着物を常に羽織っている。
大きく広げられたそれは、まるで夜の花畑で眠っているかのようだ。
惚れた欲目でもないが、一枚の絵のように完成されたその姿は美しい。
風が吹いて龍斗の黒髪を揺らす。吹く風も黒髪の美しい猫を起こすのが忍びないのか、緩やかで暖かい風を送って、彼の眠りを心地よいものにしている。

幸せそうに眠る龍斗を見て、九角の頬が緩む。
気配に聡い龍斗を起こさぬように足音を消して彼に近付いて、頭の側に腰掛けた。
手を伸ばして柔らかな髪を撫でると、擦り寄るように首を伸ばしてくる。
それに答えて、頬や細い首筋をそっと撫でてやると、龍斗の口元に笑みが浮かんだ。

「ふっ……まるで猫だな」
「にゃあ」
「……!なぜこのような所に、猫が?」

龍斗の着物と同化して気付かなかった。
着物と同じ、漆黒の艶やかな毛並みをした一匹の猫がいた。
丸まって眠る足の方で、一緒に丸まって眠っていたらしい。
長い尻尾をゆらりと揺らして、黒猫は甘えるように龍斗の手に顔を摺り寄せる。

ふるりと、閉じていた瞼が反応した。
薄く開かれた瞳にいつもの強くて暖かい光は感じられず、それとは別の、底なし沼のような闇の色が見えた。

龍斗を形容するなら、冬の夜空。ひやりとした空気と、漆黒の闇と、白い月。
それは彼の容姿を表わすものでもあるし、彼の持つ雰囲気も表わす。
龍斗の瞳の光は、月のようだ。太陽のように強い光ではなく。
闇に生きる自分たちを優しく照らし、癒してくれる光。

心臓がどくりと脈打つ音がした。
こんな瞳の色も持っていたのか、と驚かずにはいられない。
一瞬だけ見せた瞳は、誰も彼もを容赦無く引き摺り込むようなものだった。

その闇の色は、眠気に負けて再び閉じられた瞼に隠される。
そして、もう一度ゆっくりと開かれた瞳には、いつもの光が宿っている。
龍斗の瞳が開かれる時間が、九角にはひどく長く感じられた。

何度か瞬きが繰り返され、完全に目覚めた龍斗は、自分の髪を撫でている九角の姿を見て笑顔になる。
つられて九角の顔にも笑顔が浮かんだ。

「……天戒」
「起こしてしまったか?」
「いいえ、大丈夫です」

にこりと笑って起き上がると、長い前髪を掻きあげた。
黒猫は、龍斗の膝上に飛び乗るのそこで丸まって瞳を閉じる。眠りにつこうとする猫を、龍斗が優しく撫で始めた。
黒猫の呼吸に合わせて撫でる手を、気持ち良さそうに受け入れている。
ゆらゆらと揺れる尻尾は九角の方に向けられ、まるで邪魔だとでも言わんばかりに九角の手を叩く。

もしかしなくとも嫌われているな、と苦笑う。
だからといって、龍斗の側を離れるつもりはないが。

「その猫はどうしたんだ?」
「あぁ、蓮という名なのですが……さちという娘が拾ってきたそうです。けれど、警戒心が強くて誰にも懐かなかったそうで」
「さち、というのは確か……小助の所の娘だったな」
「はい」
「それで?懐かない猫が、なぜ龍に懐いているのだ?」
「いつの間にか」

分からないんですけどね、そう言って黒猫に向けられていた視線を九角に向ける。
ようやっと自分を向いた瞳。

「相変わらず他の人には懐かないらしいですけれどね」

龍斗が耳の後ろを撫でてやると、ゴロゴロと喉を慣らしている。
その様子を見ていると、龍斗にはとても懐いていることがわかる。
というよりも、この黒猫は龍斗が好きなようだ。さきほどから尻尾で叩いているのは、邪魔だという意思表示なのだろう。

「夜も一緒の布団で寝ているのですが。同じ部屋の風祭は、噛まれたり引っ掻かれたり大変なようです」

風祭の様子を思い出して、龍斗はくすくすと笑い出す。
昼食の時の風祭を思い出してみると、確かに頬に3本の痛々しい爪あとが残っていた気がする。
どうしたのかと聞いた時には「何でもありません」と、罰が悪そうに答えていた。
さすがに猫にやられました、と答えるのには抵抗があったらしい。

顎の下を撫でてやると、黒猫は気持ち良さそうにして龍斗の手に擦り寄る。
その姿が、さっき九角が龍斗を撫でてやった時の仕草とそっくりだ。
擦り寄ってくる黒猫を愛しそうに見つめる龍斗の様子に、ふつふつと面白くない気分が九角の中に湧いてくる。

髪に触れて、龍斗の意識をこちらに向けさせる。
気付いた龍斗が九角の方に顔を向けると、触れていた手の指を髪に絡ませた。そしてそのまま引き寄せるようにして顔を近付けると、龍斗はわずかに眉を顰める。
少し非難している色を含めた声で九角に問う。

「蓮が見てますよ?」
「かまわん」
「嫉妬ですか?」
「あぁ」
「嫌われても知りませんよ」
「別に、よい」

もうすでに嫌われているようだからな。
唇が合わさる寸前で囁かれた言葉に、龍斗は仕方の無い人ですね、と言って笑った。
その笑い声も、龍斗の膝上で寛ぐ黒猫に届く前に消える。

長い口付けが終わって、伏せられていた瞳がそっと開かれる。
間近で見つめ合った後、九角は龍斗の瞼に唇を近付ける。自然と伏せられる瞼に口付けると、龍斗は九角の着物の裾を握り締めた。
甘える仕草が可愛くて、もう一度口付けを交わした。



その間もずっと、黒猫は長い尻尾でぱしぱしと九角を叩いていた。
そして、その後一番の敵視対象は風祭ではなく、鬼哭村の長になったらしい。



猫は睡眠を邪魔されると尻尾で抗議します。
尻尾で意思表示しますよ〜。ウチの飼い猫限定かもしれませんが。
蓮と名づけたのは、拾った子です(補足)
猫、いいですよねぇ……