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盲目な程、一途に
ごろりと寝転がる姿は、まさに猫。
しなやかにしなる身体。絶妙なタイミングで擦り寄ってくる姿。警戒心が高く人の気配に敏感で、弱気な姿を決して他人には見せないし気付かせない。気高い心。
そんな猫が、自分の前だけでは弱々しい姿をみせて甘えてくるとなると、突き放すことができない。
まったく、らしくないと笑ってしまう。
その猫は、精神だけでなく容貌も美しく人を惹き付けた。
夜の闇のように黒い髪、けれど光を受けて艶々と光る様が美しい。
それとは対照的な、白い肌。外気に晒されたことなど一度もない、とでも主張するかのように真っ白で滑らか。爪を立てれば簡単に痕が付き、しかも赤い痕は白い柔肌に鮮やかに映えて目立つから付け甲斐がある。
切れ長の瞳を縁取る長い睫毛、すっと通った鼻筋、赤みの強い唇。
瞳は、光の加減で金と黒を行き来する不思議な色。
華奢な身体は、いつもひんやりと冷たく、抱き心地がいい。
そんな極上の猫が、家に入り浸るようになったのは、江戸が永遠の闇に包まれて暫らく経ってからのことだ。
「……お前は」
「なんです?」
「勝手に入るなと言ったはずだが」
酒を買いに一寸の間留守にしていたうちに、入り込んだらしい。
ここのところ毎日のようにやってくる猫、緋勇龍斗は部屋の中央で丸まって寝ていた。
出て行けと言っても素直に聞く輩でもないのは、今までの経験で嫌というほど分かっているので、無視して自分も部屋に上がる。
「いいじゃないですか。私と貴方の仲なんです」
「どんな仲だ」
狭い一間の長屋の部屋で、最も龍斗から離れた場所に腰を下ろした。
買ってきたばかりの酒を横に置き、煙管を取り出して火をつける。
「一夜を共にした仲、です」
忘れたとは言わせませんよ?と言って、龍斗は寝転がったまま、体を犬神の方に向ける。
鼠色の着物を纏い、紺色の帯で縛っている。さらに、鮮やかな柄の女物の晴れ着を羽織っていて、寝転がったことで晴れ着の裾が大きく広がり場所をとっている。
鮮やかな模様は紅い花のようで、龍斗が花に埋もれて倒れているように錯覚させた。
「……落ち着かないんですよ、どこにいても。"あの時"の事を覚えているのは……貴方と、彼女だけなんです。彼らといるのは楽しいのだけれど、ふと気付くと"あの時"の居場所を恋しがっている自分がいる」
《龍閃組》と《鬼道衆》。
互いに敵対する関係だった組織が、今は共通の敵を倒そうと手を組んでいる。
龍斗はそのどちらにも加わっていた。
その事を覚えているのは、ほんの一握りの人間。口外すべきではない、事実。
言ったところで信じられる話ではないし、混乱させるだけだろう。受け入れてくれる可能性もなくはないが、自分の先の運命を知った龍斗に、それを告げる意思はなかった。
「…………逃げたい」
勝手に動いた唇が、隠していた本音を語り出す。
けれど、逃げる事など許されない。
これが《宿星》、自分の存在理由。
喜ぶべきこと、誇るべきこと。
運命の神の掌で踊るだけだった傀儡である自分が、一時でも愛し合える人に出会えた。
それだけが、自分がただの傀儡ではなかったのだと証明する事実。
なのに、その事実が今では、ひどく辛い。
「不器用なもんだな、人間は」
犬神は龍斗の話を聞きながら、長屋の壁に寄りかかって煙管を吹かし続けている。瞳にはいつもの蔑むような光はなく、哀れむような、過去を思い出して悲しんでいるような光。
「人のこと、言えないんじゃないですか?」
音を立てずに、龍斗は犬神の側へと近寄っていく。
広がっていた晴れ着が、龍斗の元に集まって彼の後をついていく。
するり、と白く細い腕を犬神の首に巻き付けて、首筋に顔を埋めてしまった。
酒の匂いと煙管の匂い。初めて会った頃よりも、酒の匂いは薄れてきている。会った当初は、その飲酒量とそれに伴う酒の匂いに顔を顰めたものだ。会う度に口煩く言ったのが功を奏したのか、最近では飲酒量が減ったらしい。
薄れた酒の匂いがなくなると、かわりに感じるのは、犬神の体温だ。
匂いに気をとられる事がなくなったので、ゆっくりと感じることができる。
「貴方も、私から見れば十分不器用ですよ」
さらにぎゅっと力を込めて、犬神の首に抱きつく。
泣くのを堪えるような仕草に、犬神の僅かな庇護欲が刺激される。
優しい力が込められた手で龍斗の髪を撫でた。
「お前ほどじゃない……」
優しいその手とその声に全てを委ねてしまえたら、どんなに楽だろうといつも思う。
それを出来ないのは。
龍斗が逃げ出そうとする度に、彼の人の微笑む姿を思い出してしまうからだ。
彼の人と過ごした日々、交わした会話。
自分は今も彼を愛しているのだと思うと、犬神の手を取ることができなくなってしまう。
こうしてゆらゆらと海月のような曖昧な態度は、犬神を傷つけるのだと分かっていても、この関係が一番楽で救われるから甘えてしまう。
自分の卑怯さを感じる度に、龍斗は自己嫌悪に陥っているのだ。
きっと犬神は自分のこの考えも分かっているのだろう。
自分の汚い部分を曝け出しても受け入れてくれる彼を、龍斗は失えないと強く思っていた。
縋るように抱きついてきてから数刻、龍斗はそのまま動かなくなった。規則正しい吐息が聞こえるので、恐らく考えに夢中になって、眠ってしまったのだろう。
こんな体勢でよく眠れるものだと、犬神は呆れた。
火をつけるだけで終わってしまった煙管を置くと、寝やすいように体勢を変えてやる。
首に巻き付いていた腕を解き、自分の膝の上に龍斗の頭を乗せた。その間、龍斗は起きる気配を見せなかった。
お互いに、何かを失った辛さを抱えて生きる。
似た者同士の傷の舐め合いのような生き方だけれど、それでも世捨て人みたいに生きる自分と、懸命に立ち向かう彼とでは、雲泥の差があると思う。
たとえ相手が覚えていなくても、一途に思い続け、信じて共に戦うその姿。
見ていて痛々しく、くだらないと思うのだが、ひどく心を惹かれ好ましいと感じる。
自分が、この猫の息抜きの居場所になれるのなら、それもいいと思ってしまうのだ。
2005.08.04 修正