虫の知らせ、というやつだろうか。
夕食を食べ終え、部屋に訪ねてきた皆守としばしの会話を楽しみ、そろそろ寝ると言った皆守を見送り。一人になって、ふと窓の外の月を見た時、なんだか胸騒ぎがした。
そういえば、放課後から九龍の姿を見ていないと気づいた。
探索に行っているのだろうということは、簡単に想像がついた。
九龍もプロだから、心配することはないのかもしれないが、今日ばかりは何故か酷く気になった。

とにかく早く九龍の姿を確認したくなり、カットソーにジャケットを羽織るだけという格好で、龍麻は足早に寮を出たのだった。




誰 が 為 に 零 れ 溢 れ る 願 い



区画をいくつか進んでいく度に、龍麻の頭を嫌な予感がよぎっていく。
そして、今の段階での最奥の区画に辿り付くと、龍麻は思わず足を止めた。

そこに九龍はいたが、無事な姿ではなく、満身創痍の姿で壁に寄りかかり座っていた。
ボロボロになった制服は勿論、力なく垂れた腕も伸ばされた長い足も秀麗な顔も血まみれだった。
付着した血液は九龍のものだけではないが、それを抜きにしても相当の出血だ。
その所為で、顔が青白い。

龍麻の姿を確認すると、へらっといつもの人懐こい笑みを浮かべた。

「馬鹿だな。こんなになる前に、さっさと逃げろ。引き際を見極める潔さも必要だ」

心底呆れた、という心境を現わすかのように、龍麻の口から出たのは大きな溜息。
近付き、見下ろす視線には、幾ばくかの怒りが込められているようにも感じる。
それを受けて、九龍は声もなく笑った。

笑ったことで、腹についた傷が刺激されて、すぐに顔から笑みは消えた。
ごほっ、と血が混じった咳をする。
想像していたよりも傷は深く、内臓までやられているらしい。
柳眉を顰めて、九龍の咳が治まるまで龍麻は立ったまま見下ろしていた。
どうにか咳が治まって、深呼吸をしてから口を開いた。

「…………これが、俺の仕事なんで。己の無事なんて、二の次なんですよ」
「死んでもいい、と?」

龍麻の声が、いつもよりも、ずっと、硬く冷たい。

「…………………………まぁ、ぶっちゃけ」
「与えられたミッションを完成させるのが優先だ、と?」
「最優先事項は《秘宝》の入手と敵の殲滅です」

ハッキリと。
それが当然だというように、または《宝探し屋》としてのプライドなのだろうか。
断言した九龍の声は力強かった。


「そんなことを本気に思っているなら、お前は本当に馬鹿だ」


正面を向かい合わせて立っていた龍麻は、九龍の横に移動すると、ボロボロのアサルトベストから救急セットを取り出す。
九龍がいつも必ず一つは持ち歩いているのを覚えていたのだろう(持ち歩くように言ったのは、皆守だ)。
思う存分、血液を吸った制服の上着を脱がすと、手馴れた手つきで傷の手当てをしていく。
有無を言わせない龍麻の様子に、九龍は大人しく従っていた。

「九龍。明日、君が怪我をして学校に行けば、八千穂は泣きそうな顔で心配する。椎名も取手も同じだ。皆守も、明確には言わないが、心配する。そして言うんだ。"今度行く時は、自分を連れて行け"と」

皆が、お前を心配している。
お前が傷付く度に、皆が悲しむ。

「これでも、お前は自分を粗末に扱うのか?」

包帯を巻いていた手を止め、龍麻が顔を上げる。
非難の色を込めた瞳が、一筋もそらされることなく九龍を見つめてくる。
ここで愁傷な態度でも見せればいいのかもしれないが、九龍はふっと鼻で笑った。

「心配するのは個人の自由です。なら、自分をどう扱うかも、個人の自由だと思いませんか? 実際、貴方もそうなんでしょう? 自分を大切にしない」
「昔はな。今は……、前よりは大切にしてるさ」
「何故?」

「昔、一度だけ瀕死の重傷を負ったことがある。その時の仲間の荒れ様がすごかったらしくてね。治ってからもしばらくは大変だった。そして思った。嗚呼、コイツらは本気で俺を心配してくれて、想ってくれてる。ならこれ以上、迷惑も心配もかけないようにしようと決めた」

ここにはいない仲間たちの姿を思い出しながら語る龍麻の顔は、いつになく穏やかで、幸せそうだった。
自然と口元が緩んでしまうのだろう。
さっきまで龍麻をまとっていた硬質な空気が、嘘のように消えていた。

「………………誰かの為、ですか」
「そう。誰かの為」

ふわり笑う龍麻が、どこか遠くに感じた。
自分とはかけ離れた存在に思える。
九龍には、そんな風に大切に思える人がいなかったから。
いつも一人で、自分だけを頼りに、支えに生きてきたから。

「俺はいつも自分じゃない何か、ハッキリ言えば《ロゼッタ協会》ですけど。組織の為に生きてきました。俺の身の安全よりも、結果を要求されます。どれだけ価値のある《秘宝》を手に入れたか。どれだけ短時間で敵を殲滅したか。どれだけの数を殺したか。誰も、俺自身の結果なんて必要としなかった。必要なのはデータだけ。自分達の創り出した《人形》が叩き出した、データだけ」

淡々と、言葉を紡ぐ。
その眼差しは虚ろで、焦点が合っていない。
機械的に唇と声帯だけが動いて、喋っているようだった。

「皆守や八千穂たちが必要としているのは、九龍の無事だ。データでも《秘宝》でも結果でもない。葉佩九龍が無事でいることを、彼らは欲している。それでは不満か?」

かれら、と九龍は声には出さず、唇の動きだけでその言葉を反芻する。
考え込むように地面に落としていた視線を、龍麻の方へ向けた。
九龍の片腕に包帯を巻いている最中で、九龍の顔を見ていなかった。
包帯を巻かれている手を逆の手を、そっと龍麻の顎にそえる。
それに気付いて、忙しなく動いていた龍麻の手が止まって顔を上げる。

「ねぇ。龍麻サンは、俺が死んだら悲しんでくれますか?」
「…………九龍が死んで、涙を流すくらいの情はあるよ」

乾いた血が、指先の感覚を鈍らせている。
汚れてしまった手で頬をなぞっているけれど、龍麻は振り払うようなことはしなかった。
ただ黙って九龍の好きにさせていた。

「いっそ狂ってよ」

それくらい、俺がいなきゃ駄目な人間になってよ。
俺がいなきゃ生きていけないって、泣いて叫ぶくらい、俺に夢中になって。

「そうなるかどうかは、今後の九龍の次第だろ?」
「龍麻サンが、泣いてくれるだけでいい。それだけが、欲しいよ」

ありったけの力を込めて、九龍は龍麻を抱き締めた。

見た目よりもずっと細い体は、このまま力を入れ続けたら折れてしまうんじゃないかと思う。
あまり強く抱き締めたので、苦しそうに息を吐き出すけれど、それでも、黙って抱き締められていてくれる。
肩に顔を埋めて、深く息を吸う。甘い匂いと、血の匂い。
あぁ、彼の香りだと自覚したら、心拍数が上がるのが分かった。
これだけ密着しているから、きっと龍麻にも伝わっているだろう。このドキドキは。
頬に当たる龍麻の柔らかい髪の感触が、ひやりと冷たい温度で気持ちいい。
冬の深夜に出歩いたから、きっと冷たいのだろう。
それが、自分と触れていることで、だんだんと温度を上げていくのが嬉しい。


「それだけを、頂戴」


くろう、と耳元で囁かれた自分の名前が、いつも以上に特別なものに聞こえた。




龍麻はあくまで傍観者でいようとしています。
自分の居場所は此処ではなく、昔の仲間の元だと思っているから。
九龍はそれを分かっていて、昔の仲間の元ではなく、自分がいる所を居場所にして欲しいと願っている。