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天 上 ノ 恋 人 タ チ 、 地 上 の 僕 た ち
轟々という音と、何かにぶつかって水が弾く音が重なり合う。
雨が降っているというのに、半分だけ開けられた窓。
網戸を通してつき抜けた雫が、部屋の中を濡らしていた。
目を閉じれば、部屋の中にいるのに雨に囲まれたような錯覚をしてしまう。
天気予報では今日は大雨だとか。季節に合わせた清楚な服を着た女性が、笑顔でそう言っていたのを思い出す。
寮に帰って部屋に入った途端に降り始めた雨。
ベッドの上に足をほおり投げて体の力を抜く。
雨は嫌いじゃない。むしろ、世界から切り離されたように感じる寂しさが好きだ。
そしてそっと目を閉じた九龍は、しばしその雨の音に聞き入っていた。
天気が悪いし、今日は遺跡に行けないかなぁとか。
やっちーも今日は部活できないんだろうなぁとか。
かまちは傘持ってるかなぁ、とか。
傘を持っていない確率でいえば、甲ちゃんの方が高そうかも。
にゃ〜ん、という気の抜けた着信音。
受信日:2004年10月xx日
送信者:朱堂 茂美
件 名:愛しのマイラヴァー
ぼんやりとした目線で読み進めれば、内容はいつもの情熱的なメール。
詩的な愛のメールに、すどりんは作詞家にでもなればいいんじゃないかと思う。
H.A.N.T.を閉じ、天上を仰いで目を閉じる。
一仕事を終えた時のようにため息をついたら、ふとさっき見たメールの内容を思い出す。
こんな雨の日は、天上の恋人たちが会えない悲しさに涙を流しているのかも。
ロマンティックな彼女(彼?)のメールに引用されていたのは、川を挟んで離れ離れになった恋人たちの物語。
遠い昔に聞いた御伽噺、今も残る悲しく美しい伝説、願いを捧げる習慣。
色々と考えていたら無性に彼に会いたくなってきた。
今日は最悪だ、と皆守は思った。
校舎に人の気配はなく、タルそうに引き摺って歩く自分の足音だけが響く。
廊下の片側を敷き詰める窓を見やれば、夕方から降り始めた雨。
呼び出されてから大分時間が経ったので、雨は校庭にたくさんの水溜まりを作り、小さな川を作り出す。
天気予報では夕方から雨が降るといっていた。
降り出す前には帰るつもりだったのに、珍しく急な呼び出し。
断る事も面倒で呼び出しに応ずれば、予想以上に時間がかかってしまい遅くなった。
ちょうど終わった頃に雨が降り出し、そうなると、傘を持ってきていない皆守は濡れて帰るしかない。
本当に、最悪だ。
口にしたアロマパイプを前歯でがりッと噛む。
それが、機嫌が悪い時にする癖にだった。
靴を履き替え、生徒玄関でしばらく立ち尽くす。
濡れて帰るしかないと分かっていても、そうすぐには足を踏み出せない。
ざぁざぁと音をたてて降る雫は、大雨というだけあって、無数の線となって目の前を落ちていく。
これほどの強さなら、5分も待たずにずぶ濡れになってしまうだろう。
無駄かもしれないが、雨脚が弱くなるのを待ってみることにした。
近くにあった柱に寄りかかると、ポケットから使い慣れたZIPPOを取りだす。
アロマに火をつけて深く吸い込み、体の奥まで包む香りを、目を閉じて感じ取っていた。
一定の音を奏でる雨の音と、ラベンダーの香り。
聴覚と嗅覚だけで感じ取る世界に、居心地がいいとは思わなかったものの、先ほどまでの最悪な気分は少しばかり拭い去れたような気がした。
どれくらいそうしていたのだろうか。
ぱしゃぱしゃ、という不協和音がして、皆守は閉じた瞳を開けば。
真っ赤な傘。黒のジーンズとクリーム色のVネックのセーター。日本に来てすぐに買ったと自慢していた、皮張りで重そうなブーツ。傘を持つ手にも、重そうなブレスレットが重ね付け。反対の手には、今日の雨空とは対称的なほど鮮やかな空色の傘。
「よ、甲ちゃん」
シンプルながらも、仕立ての良い服と高そうな装飾品で身を包んだ男。
こちらに向かって歩いてくる男の顔には、何か考え事をしているのか表情がなく、学校で会っている時とは違った人に見えた。
けれども、皆守を見つけた途端ぱっと嬉しそうに笑った顔は、見慣れた九龍の顔。
探していたものを見つけて、満面の笑みを浮かべる子供みたいな顔。
瞬く間に変化を見せる表情、あぁやっぱりコイツは笑っていたほうがいい。
「もう下校のチャイムは鳴ったぞ。何やってんだ、ココで」
「甲ちゃんこそ」
「……俺は寝過ごしただけだ」
バツが悪そうに頭を掻く皆守に、九龍は仕方ないヤツと言って苦笑した。
そして、空色の傘を皆守に向かって差し出す。
にぱっと笑う九龍の顔が、晴れた日の空みたいに鮮やかに、皆守の脳裏に焼きついた。
「迎えに来たよ。傘、ないでしょ。突然降り出したからねー、この雨」
傘をさし、二人で並んで寮に向かって歩く。
赤い傘と空色の傘は、暗くなりつつある世界に鮮やかな色取りを与えていた。
「茂美ちゃんがね、メール送ってきてさ。今日の雨が、織姫と彦星の間に流れる川を氾濫させちゃうわっていう内容だったんだよね」
「はぁ?なんだそりゃ」
ワケ分からん、という顔で皆守が横に並ぶ九龍を見る。
それに気付いているのかいないのか、九龍は前を見据えたまま続けた。
「雨がさ。七月七日に降ると、川が氾濫しちゃって会えなくなるんだって。またもう一年、川の岸で会えない時間を過ごさなきゃならない」
「…………会いたい人に会えないのは、辛いよなぁって。目の前にいて、手が届きそうなのに触れられないのは、嫌だなぁって」
「そう思ったら、甲ちゃんに会いたくなった」
泣きそうで辛そうな顔。
すっと前を向いて喋る九龍は、今まで見たことがない、大人びた横顔。
けれども、最後に皆守を向いて微笑む顔は花が咲いたように明るいもので。
「ま、俺は雨が降ろうが橋が無かろうが、会いに行っちゃうけどね」
「1年に1度しか会えないっていうのが、同情誘えんだろ。可哀想な恋人同士ってな」
「ロマンがないなぁ……」
「九ちゃんほどじゃない」
九龍の場合は無理やりにでも渡るだろうし、カミサマを愛用の銃で脅してでも一緒にいそうだ。
伝説の彦星が九龍と同じ行動をとったら、ロマンもなにもあったものじゃないだろう。
九龍の突飛な行動、常識から大きくずれた行動が多いので、一緒にいる皆守としては疲れることもあるのだが。
我を通すやり方は、よほどの自信がないとできない。
そうやって自由に自分の道を突き進む九龍は、皆守にとって羨ましい存在だった。
「それか……事実を受け入れたんだろ。大体、1年に1回確実に会える安全な方法があるんだ。わざわざ危険を侵してまで会いに行く必要はない」
「相手が自分の元にくるために怪我でもしたら嫌だろ。それで、死なれたりでもしたら……それこそ最悪だ」
皆守は、傘を持っていない左手だけで器用にアロマに火をつける。
カチリ、とライターの蓋を閉じる音を聞き取った九龍は、前に向けていた視線を隣の皆守に移す。
ガラにない台詞を吐いたと思っているのだろうか、皆守は九龍と視線を合わせようしない。
それを見て、九龍は眉根を寄せて困ったように笑った後、足元に視線を落とす。
ぱしゃぱしゃ、音を立てて水溜まりを歩く。
皮製のブーツは水を通さないし、底が厚めになっているので、ちょっとやそっとじゃ濡れたりはしない。
水のはねる音を楽しみながら、九龍はぽつりと呟いた。
「……俺はそれでも渡るな、きっと。じっと待ってるのは俺の性に合わないから」
「………………だろうな」
「絶対死なないで、怪我一つしないで、渡りきってみせるよ。俺は」
「その自信はどこからくるんだ」
「川の一つや二つ、渡りきるだけの力はつけてきてますからね。そんなに柔じゃないし。だから……」
「待っててるだけでもいいよ。俺が行くから、甲ちゃんの所に」
するりと、九龍は皆守の手に自分の手を絡ませる。
雨と夜の外気に晒された互いの指は、ひんやりとしていた。
けれど、肌が触れ合っている部分が次第に熱を持つのを感じると、一緒にいるんだという実感がじわじわと湧いてくる。
降る雨の音を聴きながら、繋いだ手の温度に思いを込めた。
終日不成章 泣涕零如雨
河漢清且浅 相去復幾許
盈盈一水間 脈脈不得語
参考図書『漢字歳時記』新潮選書より抜粋 「古詩十九首 其十」 漢・無名氏 の一部
心は彦星に奪われ、一日中織ってもあや模様はできず、涙は雨のように流れおち。
天の川は清く済んでいるうえ、浅く。しかも彦星とそれほど遠く離れているわけではなく。
それなのに、水に満ち満ちている川に隔てられたように、見つめ合うだけ。言葉も交わせず。