懐かしい匂い
15.懐古 ―― 2005.11.10
事前に調査報告書を貰っていたので、緋勇龍麻がどういう経緯を持った人間なのか知っていた。
組織の上層部たち、とりわけあの老人が側に置きたがっていた人間で(手駒として側に置きたいわけではないのだろう)、差し向けた兵たちを見事に返り討ちにした強者。
それなりに興味はあったが、手に入れたいとまでは思わなかった。
実際に目の前で彼を見るのでは。彼と言葉を交わすまでは。
「懐かしい匂いがするな、お前は」
古書で埋め尽くされた書庫室の一番奥、誰の為に置かれたのか分からない豪奢な椅子に、彼は腰掛けていた。
ゆったりと柔らかそうなそれに深く腰掛け、優雅に足を組んで。膝の上には読みかけの分厚い本。天香學園の歴史について書かれたそれは、喪部が探していた本でもあった。
けれど、今は本よりも、まるで君臨する者のように喪部を見る龍麻の方が気になった。
開口一番に言われた、言葉の意味も気になる。
「…………、どういう意味だい?」
「ちょっと違うけれど。同じ匂いだ、と言ったら"アイツ"に失礼かもな」
ふっ、と軽く笑った声は聞き逃してしまいそうなほど、小さかった。
肘掛けに肘をついて、顔を支える。軽く瞼を閉じて、視線を空に流す仕草が煽情的だ。
そして、もう興味はなくなったとでも言うように、龍麻は膝に置いた本のページを捲る。
目の前で喪部が混乱しているのにも構わず、龍麻の目は本の文字を追う。
相手にされたい訳ではなかったが、振り回されて大人しくしているような奴ではない。
むしろ、こうまでされて腹が立っている。
喪部はイライラを隠さず、押し隠していた殺気を目の前の龍麻に向かって放った。
それでも、龍麻に怯える気配はない。
気だるそうに顔を上げて、その黒曜石の双眸に喪部を写す。
長い前髪の一房が顔にかかり、白い肌に影を落とした。
偶然に出来た影さえも、彼の美しさを助長させるのか。頭の片隅で、そんなことを考えた。
「僕は無遠慮に笑われて、大人しく流すような人間じゃないんだけれど」
「それは悪かった。鬼は鬼だが……、やっぱり違う。喪部の《氣》の方が、」
「気に障る」
完璧ともいえる笑顔を浮かべて、髪をかきあげた。
開いていた本を閉じると、龍麻は足をゆっくり組み直すと、喪部を見据えた。
そして、普段は押し隠している《氣》を解放する。
あまりに強すぎる龍麻の《氣》は、良い意味でも悪い意味でも、周囲の人間に影響を与えてしまう。そのため龍麻は、《氣》をコントロールする術を身につけ、押さえて生活をしていた。
そして、今、それを、解放、した。
瞬間、室内に広がる圧迫感は、それまで龍麻に感じていたもの以上に強い。
逸らされる事なく見つめてくる目の強さに、ぞわりと鳥肌がたった。
一歩、後ずさるなんて、喪部にとって初めての経験だった。
声を出そうとしても、上手くいかない。
「"アイツ"は俺に近かったから、という理由もあるんだろうけれど」
ため息をついて、視線を空へと逃がす。
その瞳は、ここにはいない何かを探しているようだった。
「君は、一体何者だ?」
「聞いた事があるだろう? 数ヶ月前までは、どこぞの組織から熱烈なお誘いを受けていたからな。寝込みを襲われたこともあったけれど……返り討ちにしてやった」
「……君が、」
「それ以上は口にするなよ? 口に出した瞬間、お前はこの世から消えることになる」
それは忠告ではなく、命令。確実な脅しを含めた言葉。
何者にも屈することのない輝きと、威光。そして触れることさえ躊躇うような、美しさと完璧さを持った存在が、今目の前にいた。
全身を寒気とは違う震えが走る。
「最高、だね。まさに僕が求めるモノだ」
「求められても、あげるつもりはないさ。特に、お前のような奴には」
「君の力のことじゃないよ。……僕が欲しいのは、君そのものだ」
にたり、と笑った喪部は絡めとるような視線で龍麻を見つめた。
獲物を見付けた猛獣の眼。《宝》を見付けた、ハンターの眼。
喪部のそれは、まるで蛇のそれだ、と龍麻は思った。
じわじわと四肢を絞め付けて、獲物の恐怖する様を喜んでいるかのような。
蛇は霊的にも強い力を持つと言うし、しつこさも粘り強さも人一倍だろう。
あまり嬉しいものではない、と思う。
それでも怯む様子など見せず、龍麻は変わらぬ笑みを浮かべて喪部を挑発する。
「俺が欲しい?」
「あぁ、とてもね」
龍麻に触れようと伸ばされる手。
しかしその手は、頬に触れる寸前で乾いた音をたてて払われた。
払った本人は、艶然と微笑んで。
「あげないよ、誰にも」
「その腕と足を切り刻んででも、側に置いてみせるさ」
( まるで睦言のような殺意 )
まだ黄龍は本気じゃありません。
椅子は長時間書庫室に篭るために、御門に頼んで、如月に運ばせて、置いた模様。
書庫室にそんなスペースあるのでしょうか、というツッコミはなしで。
何様俺様、わがまま黄龍。書庫室は彼のお気に入りスペースのひとつ。