恋愛致死量。
Nio×Atobe


跡部の方から触れてくることは滅多にない。
いつも、仁王の方から近付いて抱き締めて髪を撫でて、キスをする。
自分だけが跡部を欲しがっているような気がして、複雑な気持ちになった。けれど、仁王がそうやって跡部に触れても拒絶されたことはない。例え、跡部が本を読んでいる時や電話している時でも、だ。キスも、それ以上のことも、自分だから許されている。受け止められている。そう思うと、跡部がより愛しいと感じだ。

だから、跡部の方から近付いて髪に触れてきた時、仁王はひどく吃驚した。

思わず、開いていた雑誌を落としてしまうほどに。



他人を入れたことのない仁王の部屋で、仁王と跡部はゆったりとした時間を過ごしていた。梅雨も間近の日曜日、外はしとしとと雨が降っている。部活も休みで、かといって雨の中を出歩く気もなかったので、今日は部屋で過ごそうかと二人で話し合って決めた。
そう決まった途端に、跡部がうとうとし始めたので、仁王は部屋に置いていたクッションを渡して「寝てもいいよ」と言って部屋を出た。キッチンでコーヒーを二つ淹れて戻ると、渡したクッションを枕にして跡部は眠っていた。折角のコーヒーがもったいない、と思ったけれど、何となく戻る頃には眠っているだろうなという気がしたから、さほど残念という気はしなかった。それよりも、生成色の柔らかなクッションに顔を埋めて、軽く丸まって眠る跡部はネコのようだ。それがいつもの偉そうな彼らしくなくて、自分だけがそんな姿を見られるのが嬉しい。
テーブルの上に静かにカップを置いて、仁王はベッドに寄りかかって座り、読みかけの雑誌に手を伸ばした。横を向けば、眠る跡部の顔が見える。顔を遮る髪を優しく取り払ってあげても、深い眠りについた跡部が目を覚ますことはない。強い光を灯す蒼い瞳が閉じてしまうと、吃驚するほど、あどけない表情になる。しばらくの間、その顔を堪能して、仁王は手にした雑誌に目を移した。ページを捲る音、コーヒーを啜る音。どれも、彼の眠りを遮らないように、細心の注意を払いながら。

雑誌に夢中になっていた頃、いきなり自分の髪が引っ張られた。
強くもなく、弱くもなく。振り向くと、さっきまで眠っていた跡部が目を覚まし、蒼い瞳の中の瞳孔まで見えるほどの近い距離に跡部の顔があった。バサリ、という音が反対側からした。ぐしゃ、という音もしたからページが折れているかもしれない。けれど、そんなことなど、今の状態を考えると些細なことだ。

「……めずらし。どうしたんじゃ、いきなり」
「…………別に。なんとなくだ」

起きたてのぼんやりとした眼で、跡部は仁王の銀髪を触ったり引いてみたりを繰り返している。
それをされている方はといえば、突然の行動に吃驚して、されるがまま身動きがとれない状態だ。
落とした雑誌のことなど気に止めている余裕はない。肩に手をおかれ、体重をかけられているので、腕で支えないと後ろに倒れてしまう。押し倒される、その、寸前だった。

「綺麗に染まってんのな、お前の髪」
「……あのな、跡部。とりあえず、いったん退けてくれんか。倒れる」
「細いし、柔らかい。染めてる割に痛んでねぇし…触り心地いいな」

何度も何度も確かめるように、跡部の指が髪を梳いていく。
後ろ髪を結っていたゴムも、いつのまにか取られてしまい、床の上に寂しそうに転がっていた。
銀色の髪は、指で絡めとっても、まるで水が零れ落ちるように、指の間を擦り抜けていく。何度やっても、質のいい仁王の髪は跡部の指に留まることなく、流れて落ちる。抜けるような仁王の髪は、冬の月の光に似ていると、跡部は思う。前髪の奥にある目が、驚きと戸惑いで揺れ動いているのに気付き、仁王らしくなくて笑ってしまう。

「笑っとるし」

つられたように、仁王も笑みを浮かべた。
二人だけに聞こえるように、囁かれた声は優しく跡部の耳をくすぐる。
お返し、とばかりに髪を撫でようと伸ばされた手を避けて、跡部は仁王の髪に頬を摺り寄せる。
鼻腔をくすぐるのは、彼が好んでつけている香水のものだ。控えめにつけられた香りは、仁王によく似合っている。これを嗅ぐのも久し振りだった。思い返してみると、こうして二人で過ごすのはかなり久し振りだったことに跡部は気付いた。
だからこんなにも、仁王に触れたくなったのか、と妙に納得してしまった。
目が覚めて、部屋にコーヒーの匂いが少し漂っていて、自分は仁王が戻ってくる前に寝てしまったのだと分かった。部屋がやけに静かだったから、仁王も寝ているのかと思って、そっと起き上がった。すると彼は、跡部が起きたことにさえ気付かず、己の膝の上に置いた雑誌に夢中だった。それに腹が立った跡部は、邪魔をしてやるつもりで髪の毛を引っ張ったのだ。

勝手に髪を触られて怒るかと思ったけれど、意外にも、仁王は怒らなかった。
思いの他、仁王の髪は触り心地が良く、仁王が全く抵抗しなかったので、跡部の行動はどんどんエスカレートしていったのだった。

「お前、俺に甘いよな」

そう言って、跡部がそのまま身体を投げ出すと、ついに支えきれなくなった仁王の体が後ろに倒れた。

「……ッ」

なんとか頭は打たなかったが、背中はそれなりに打ち付ける派目になってしまった。
上に跡部が乗っているから、一人で倒れるよりも余計に痛い。左手は跡部が自分の上から落ちないように支えているし、利き手じゃない右手一本で支えられるほど、二人は軽くない。ジンジンと痛みを訴える背中に、仁王が眉を顰めていると、耳元で跡部の笑い声が聞こえた。いたずらが成功したのを喜ぶ時の、笑いに似ている気がした。

「今日の跡部は猫みたいやの」
「ん?どこがだよ」
「甘えたい時の、猫みたいじゃ。こっちの気を自分に向けさせるために、イタズラ仕掛けて、可愛く鳴いて、可愛く擦り寄ってきて。ちょっと強引なところまで全部」

顔を横に向けると、ちょうど跡部も仁王の方を見たところだった。猫みたいだと言われたのが腑に落ちないのか、跡部は少々拗ねたような顔になっていた。顔にかかった髪を後ろに流してやり、反射的に細めた目に、そっと唇を寄せる。触れた睫毛が微かに震えていた。

「……馬鹿じゃねぇの」
「ん?」
「怒れよ、少しは。背中、思いっきり打ってた。痛ぇんだろ?」
「せっかく跡部が甘えてきたのに、怒れるわけないじゃろ」

髪を撫でた手で、跡部の耳の後ろを柔く撫でてやると、くすぐったい、と笑いを含んだ声がした。
耳の近くで喋られるとくすぐったい、と答えると、さらに楽しそうに笑う声が耳に届いてきた。
抱き締めた体から体温が伝わり合って、くっついた部分が溶けていくような感じがする。
そうなれたら気持ち良いのに。目が合って、触れるだけのキスを交して、二人で笑い合う。

きっと、お互い、同じことを思ってる。

こうして、ふたりでいるのが何よりも幸せで楽しくて、君を愛しいと思う。



( 甘えてくれる君が好き。受けとめてくれる君が好き。 )




仁王の髪をいじる跡部を書きたかった
2007.06.04