純白の君を抱く
Yukimura×Atobe


跡部は、病院と縁がなかった。産まれてから15年、健康そのもの。
テニスをしていて怪我をしたといっても、病院に運ばれるほど重症な怪我はしなかった。
せいぜいかすり傷程度。大体、家付きの医者がいたから、わざわざ病院になぞ行かない。

だからだろうか。真っ白、とまではいかないが、それでも白い空間に落ち着かないのは。
飾り気のない内装。閉め切ったように、篭もった独特の空気が重たく体を包み込み。
慣れない緊張と居心地の悪さで息苦しくて、跡部は緩めてあったネクタイをさらに緩めた。

つん、と鼻をつく病院の匂い。大声を出さないように、騒がないように気を張る周囲。
気遣いがさらに気遣いを増長させて、心地よくない緊張感を生んでいる。
つられて自分も緊張してしまう。柄にもなく。
なるべく周りを見ないようにして、真っ直ぐ目的地まで足早に歩いた。

目的の部屋の扉は開いていた。
珍しい、と跡部は思う。いつもは閉まっているはずの、白い扉。
誰か居るのだろうかと思い、足音を立てないように近付いて扉から中を覗った。

しかし、部屋にいたのは幸村だけだった。
病院のベッドの上で起き上がって、窓の外を見つめていた。
手元には開かれたままの本。空の写真が印刷された本は、先週跡部が持ってきたものだった。
窓が開いていて、初夏の風が吹き込んでは、淡い色のカーテンを膨らます。
ゆるく癖のついた幸村の髪も、風に吹かれて揺れた。
ガラスを通して差し込む太陽の光を浴びて、幸村が目を細めた。

まるで、何かを懐かしむような、そんな感じだった。

遠くを見ている姿に、きゅうっと胸が絞めつけられた。
眩しいわけではないが細めた目から、涙がでそうだった。
人前で泣くようなことを、跡部は絶対しないけれど。ただ、そんな気がした。

今日みたいに天気が良い日は、絶好のテニス日和だ。跡部も幸村もテニス部の部長で、テニスを一番に考えて過ごしてきた。それをいきなり奪われ、病気と戦っている幸村。彼はどんな気持ちで日々を過ごしているのだろうか。部長であるがゆえに、見舞いに来る部員たちの前で笑顔を見せて、弱音を吐かないように気を張って。おそらく、幸村の性格なら、親や医者にも弱い部分を見せないようにしているのだろう。

たった一人で、恐怖と戦っているのだろうか。
今も成長しつづける仲間たちに置いて行かれる恐怖と。
選手生命を絶たれるかもしれない恐怖と。
死の恐怖と。

そんなことを考えていたら、窓を見ていた幸村が振りかえって、扉の前で立つ跡部に気付いて微笑んだ。
いつもと変わらない、穏やかで優しい笑顔。
突っ立ったまま、考え込んでいたらしい。何となく気恥ずかしくなり、咄嗟に顔を背けた。
初心な生娘のような、そんな自分の行動を後悔しても遅い。
幸村の控えめにした笑い声が耳に届いて、それが余計に恥ずかしさを煽った。

「クスクス……そんな所に突っ立ってないで、入っておいでよ」
「…………扉くらい、ちゃんと閉めろ」
「そろそろ跡部が来る頃かなって思って、開けておいてもらったんだ」

一歩、足を部屋の中に踏み入れる。
後ろ手で扉を閉めると、そこは跡部と幸村の二人だけの空間だった。
開いたままの本を閉じると、幸村は丁寧にベッド脇に置かれた台の上に置く。

何冊も積み重なった本の一番上。
跡部が持ってきた本もあったし、見知らぬ本もあった。
おそらく柳や柳生辺りが持ってきたのだろう。
すっと目線を横に流すと、積み重なった本の隣に見覚えのある表紙のテニス雑誌があった。たしか、先週発売された雑誌だ。持ってきたのはおそらく切原(たしか立海大附属中テニス部の特集が掲載されていたはずだ)。
一瞬だけ、跡部の眉が顰められたのを、幸村は見逃さなかったが何も言わなかった。
あいかわらず、穏やかな微笑みを浮かべて、ベッドに近寄る跡部を見つめている。

「部屋に入る時の跡部の顔がどんなか、見てみたかったから」
「くだらねぇことしてんじゃねぇ」
「くだらなくなんかないさ。跡部のこと、どんな些細なことでも見逃したくないんだよ」

備え付けの椅子に座ろうとしたが、幸村が跡部の手をとってベッドの上に座るように促がす。
誘われるままに、ベッドに腰掛けた。
ずっと近くなった距離で、幸村はふわりと花が咲いたように微笑んだ。
ほのかな温もりをもった手が、跡部の頬に触れる。猫を撫でるみたいに優しく頬を辿ったあと、後頭部に手を滑らせ、くしゃりと髪を乱して、幸村は跡部を引き寄せる。

「だから、なんでも言ってくれ。今日何があったか、何を思ったか、今おもってること、スキなことも、嫌いなことも」
「欲張りだな。全部言えってのか? 俺に」
「あぁ、俺は欲張りなんだ。気付かなかったのか?」
「なら、お前は…………いや、何でもない」
「どうした? 言いかけて止めるなよ」
「なんでもねぇ」

ここで跡部が「思ってることを全部言え」と言っても、幸村は本音を話さないだろう。
辛いこととか、怖いこととか、愚痴とか。
その全てを受けとめられるほど、自分は強くないのは分かっている。でも、少しくらい弱音を吐いてくれてもいいんじゃないかと思う。少しだけでも、自分にも分けてくれないだろうか。
一人で抱え込まないで欲しいと、思うのは。

そう思うのは、勝手な自己満足か、俺の……。

引き寄せられて、跡部は幸村の肩に額を押し付けた。
そして、目を閉じる。背に回された手から、押し当てた肩から、幸村の体温が伝わってくる。
腕を幸村の背に回せば、頭上から小さな笑い声が聞こえた。
跡部? と呼ばれる声を無視して、抱きしめた腕に力を込める。
同じように跡部を包む腕にも力が入って、互いの体温と鼓動がより一層感じられる。

自分には、抱きしめることしかできない。
幸村の辛さとか弱さとか、受け止められるほど強くはなかったから。
ただ、抱きしめて倒れないようにしてやることしかできなかった。
それしか、思い付かなかった。

窓から風が吹き込んできた。
温度のある風が夏を感じさせ、窓から差し込んだ日光が腕に当たって、熱い。

でも、それ以上に、耳元に落とされた幸村の唇の方が熱かった。





2005.12.24